楠木正成3

北方謙三氏の図書「楠木正成」のあらすじを紹介しています。
前回のあらすじは楠木正成2

正成と護良親王の出会い

護良は三千院梶井門跡を継承し、門主となりました。
旅の成果は大きく、今までに見えていなかったものが見えました。
武士の支配を断ち切らないかぎり、帝がこの国の支配者になることはできないこと。
武士の力がどうしようもなく強いこと。
しかし、武士の支配を断ち切る方法だけが見えてきませんでした。

護良は赤松則祐(赤松円心の三男)を自分のそばにつけました。
円心がなぜ三男を出家させ、三千院に送り込んできたのかは分かりませんが、あらゆるところに手を伸ばすという周到なところが円心らしいところでした。

旅では、さまざまな人間とも会いました。
第一の収穫は、赤松円心に会ったこと。
ほかにも伊賀や大和の悪党や土豪とも会い、河内の楠木という名も耳にしました。
河内は通ったものの、楠木は50~60の兵を抱えた悪党か小土豪としか思えなかったので、会うことはしませんでした。
しかし、則祐のもとに届く円心からの書簡によると…、
楠木正成は、河内の悪党で、物流や交通に大きな力を持っており、小さな館で慎ましく暮らしているものの、その持つ力は一国の守護にも匹敵するらしい。
そして、その器量、測り難しと。

正成が河内全域を本拠として過ごしていた頃、赤坂に僧の一行が訪ねてきました。
大塔宮護良の一行でした。
大塔宮とは、この国のありようについて語り合いました。
今なにが必要かということについては、大塔宮もはっきりと見えていないようでした。
しかし、国には秩序というものが必要である。
秩序には、それが拠って立つ中心が必要で、それが帝だ。
帝の名をもって、本気で悪党を集めようとすれば、悪党もひとつにまとまれるかもしれない。

和泉の蜂起

正成が機を見ていたところ、和泉の御家人、和田から悪党の動きが伝えられ、六波羅の力を実際に測ってみるため、正成は楠木から軍勢を出すことにしました。
しかし、それが楠木軍であると、六波羅にも朝廷にも決して知られてはなりません。
和泉の和田軍は動かさないことにしました。

やがて大鳥荘(堺市西区鳳付近)で悪党蜂起があり、それに呼応して楠木軍も和泉で闘い始めました。
六波羅は数度討伐を試みましたが、屋敷を囲むと外から攻撃を受け、外の者を追えば散り、退こうとすると村人の間から湧き出したように敵が出現する、ということが繰り返されました。
年が変わると、新たな豪族も蜂起し、兵力も増えました。
すると、蜂起している豪族の屋敷の周囲に、毎朝、数十人が集まっているようになり、やがて蜂起の兵力は、2倍以上となりました。
このままでは、今度六波羅軍が来た時は、和泉の住人のすべてが敵だと思うようなことが起きるかもしれません。

六波羅の密偵が100人以上、河内に入ったという話を聞きました。
六波羅は、河内が乱れればこの蜂起は勢いよく広がり、河内さえ乱れなければ和泉の蜂起は終息すると見ているらしい。
だから、和泉の動乱には御家人の軍を当て、河内には直属軍を待機させているらしい。
また、赤松円心からは、和泉の混乱の背後に正成がいることを、六波羅が読んでいると伝えてきました。

次の和泉討伐軍は、かなり強力だろう。
それを打ち払ったところで、和泉の混乱は終息させた方がいいかもしれない。

次は、4,500の大軍が和泉に向かったと知らせが届きました。
いつものとおり、追われれば逃げ、夜襲を仕掛け、六波羅軍を追い払いました。
和泉が戦いに勝ち大興奮に包まれているうちに、正成はひそかに楠木軍を撤収させ、蜂起を終息させました。
静かな和泉に戻りました。
それがなぜなのかは、六波羅も朝廷も分かりません。
しかし、赤松円心は見抜いています。金王盛俊も見抜いています。
各地の悪党の中でも、これならばと思った者が何人かはいることでしょう。

続きは、楠木正成4

北方謙三氏の図書「楠木正成」のあらすじを紹介しています。
本を読んでいただくと、当時の畿内の状況や正成の周辺など、様々なことを知っていただけますよ。
詳しくは、ぜひ読んでください。

 

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