楠木正成1

楠木正成について、北方謙三氏の図書を読みました。
この本を読むと、当時の河内など畿内の状況や、正成が関わった歴史上の人物などを知ることができ、正成にもっと興味を持つことができます。
読み始めると、寝る時間も惜しんで読んでしまう本でした。
ぜひ、おすすめします。

かわらぶでは、あらすじを紹介していきたいと思います。

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寺田方念

播磨矢野荘には、かつて寺田方念という悪党がいました。
従来の悪党は、年貢米は襲うものの軍勢が現れたら逃げましたが、寺田方念は領主の軍勢をたやすく破っただけでなく、六波羅の軍勢でさえも押し返すという、これまでの悪党では考えられない戦をする人でした。
寺田方念は城を築いて人を集め、武士とぶつかりました。
最期は、籠城のうえ六波羅に潰されてしまいましたが、もし半数以上を外に置き、攻囲軍の背後をついてかく乱していたら、六波羅の軍勢も負けた可能性があるんじゃないかと正成は思ったのでした。

諸国の悪党

正成は、19歳から22歳までの3年間、父、楠木正遠に旅に出され、諸国を旅しました。
旅で学んだことは多く、東国の武士の強さを知ったのも旅でした。
一方で、諸国の動きは東国にいるより畿内にいる方が分かり、旅を終えたあとも屋敷で世話をしている猿楽の一座などが、正成まで全国各地の情勢を伝えてくる仕組みとなっていました。

今、播磨には赤松円心という男が悪党をまとめており、同時に追捕(罪人を捕まえる役)もしています。
悪党の円心が幕府に追捕を命じられているということは、六波羅も鎌倉も悪党の実態を何一つ掴めていないということを現わしています。

正成は、物流に目を向け、伊賀にしばしば出向いていました。
楠木家は、大和、山城、つまり京と奈良を結ぶ街道に力を持っており、その街道の安全を確保するためには、南伊賀の悪党の協力が不可欠でした。
正成の祖父の代から伊賀と楠木家は強い結びつきを持っていました。
奈良への物流を担う大和川は、父の正遠が大きな力を築きあげましたが、もっと海まで広げられれば、物流が何倍にも広がると思っていました。

この伊賀には金王盛俊という悪党がいます。
金王盛俊は寺田方念に似ており、あらゆる者たちを集めているが、ひとつの場所に留まらせない。
農民は田畑に、水師は水の上に、きこりは山に。
村人全体を悪党にしながら、東大寺領の荘園のかなりの部分を支配していました。

やがて瀬戸内の海運が動きはじめ、大和川の物流が飛躍的に伸びると、正成は、瀬戸内海賊衆を説得して回り始めました。
海賊衆も悪党であり、人は利を得るために悪党となる。
海運の利に眼をむけさせると、四国の海賊衆が、まずそれに乗ってきました。
九州西部にも動きそうな海賊衆がいます。

伊賀では、金王盛俊が戦いを始めました。
東大寺の訴えを六波羅も無視できず討伐に来たものの、六波羅が伊賀の悪党を征伐するには、伊賀の住民を根絶やしにしない限りできません。
これも六波羅が悪党の実態を掴めていないということの現れです。

一方、播磨佐用の赤松円心は、寺田方念が拡大した力をそのまま受け継いでいます。
しかし、佐用には悪党はいないということになっています。
赤松円心は武士の中に紛れこみ、佐用以外で悪党として動いているのです。

続きは楠木正成2

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